人から「会話」を無くすと「孤独」になる。
いつしか人類は、話をすることで自分の気持ちや考えを他人に伝え『会話』によって人と人とがコミュニケーションを通わせることが出来るように成りました。
そして、その円滑な意思伝達手段が大きなカギとなり文明が栄え、技術が進歩し、より生活が便利に豊かになった。
少なくともこの日本という国に生まれた私たちにはよく理解できるはずですね。
でも、ちょっと変じゃないですか?
生活をより豊かにするために人類が英知を振り絞って作り出した便利になる為の品の数々。
利便性を追求するあまり私たちから「会話」を奪うことにもなっています。
ラジオ・テレビ・DVD・パソコン・メール・インターネット・音声ガイダンス・あいさつをする券売機・自販機・自動改札…などなど。
休みの日、一人暮らしだったら誰とも一言も会話を交わすことなく過ごすことはよくあります。
昔だったら考えられないことですね。
果たして、このまま生活に『自動』という言葉が繁殖し続け『会話』という「心を通わせる人間の行為」はどこへ行ってしまうのでしょう!?
【会話が減ると孤独死や自殺者数が増える】
昔の人は、戦争や貧乏、貧困、学校に行けなくても、自殺する人は少なかったのです。
ところが現代は裕福になり、好きなものが食べられて、学校に行けて、戦争がなくて、孤独死や自殺する人が年々増えています。
また会話が無くなると『認知症』(ぼける)になる確率も増えるそうです。
何故でしょうか?
昔は貧乏でも、食べるものがなくても、学校に行けなくても、戦争があっても『会話』はたえずあったのです。
会話を通じ自分自身を理解してもらうことができましたし、他人を理解することができました。
そして、その理解により、
「自分は他人の役に立っている」
「他人は自分を見てくれている」
というような『小さな幸せ』を実感することができたのです。
ですから、孤独死や自殺者は少なかったのです。
認知症になる高齢者も数も少なかったのですね。
※ちなみに私の祖母は100歳ですがぼけてもいませんし、まだまだ元気です。
でも今はその逆ですね。なに不自由のない暮らしをしていても『会話』は確実に激減しています。
ですから認知症や孤独死、自殺者は激増しています。
人は自分のことは分かっているのは当然だと思っています。
ですが、そうでもないもです。
宇宙飛行士も最低限3人以上で宇宙へ旅立ちますね。
一人は孤独になりますし、孤独は鬱になる確率が増えます。
あなたの周りで孤独になっている方がいれば、会いに行って食事でも良いので話しを聞いてあげてください。
ご家族でも、古い友人でも…。
逆に話しを聞いてもらってください。
お酒の飲みながら、美味しい食事をしながらでも良いですね。
会話により『心のキャッチボール』をしてみましょう。
我々は人間です。感情があります。ただ生きている訳ではないのです。
日々『感情のゆらぎ』を感じて行きましょう。